内容へ

目次へ

神に近づく

『神の見えない特質は,明らかに見える』

『神の見えない特質は,明らかに見える』

あなたは神を信じておられますか。もしそうなら,神の存在を示す証拠を挙げることができますか。実のところ,知恵と力と愛に満ちた創造者なる神の存在を示す証拠は,わたしたちの身の回りの至る所に見られます。その証拠はどんなもので,どれほど説得力があるでしょうか。答えとして,使徒パウロがローマのクリスチャンに宛てた手紙の言葉を取り上げましょう。

パウロはこう述べています。「神の見えない特質,すなわち,そのとこしえの力と神性とは,造られた物を通して認められるので,世界の創造以来明らかに見えるからであり,それゆえに彼らは言い訳ができません」。(ローマ 1:20)創造者は,ご自分の造った物に,いわば証印を押されたのです。パウロが言おうとしていたのはそのことです。では,パウロの言葉をさらに分析してみましょう。

神の特質は「世界の創造以来」見える,とパウロは述べています。この文脈で「世界」と訳されている元のギリシャ語は,地球ではなく人類を指しています。 a ですから,パウロが言っているのは,人間は創造された時から,神のお造りになった物に神の特質の証拠を見ることができる,ということです。

そうした証拠は,至る所にあります。自然界の中に隠されているのではなく,「明らかに見える」のです。創造された物は,最大のものから最小のものまで,創造した方の実在だけでなく,その方の素晴らしい特質も,明らかにしています。自然界が理知的に設計されている極めて明白な証拠は神の知恵を,満天の星や砕け散る荒波は神の力を示しているのではないでしょうか。また,わたしたちの味覚を楽しませる多種多様な食物や,美しい朝焼けや夕焼けは,人類に対する神の愛の表われではないでしょうか。―詩編 104:24。イザヤ 40:26

それらの証拠は,どれほどはっきりしたものですか。それは全く明白なものなので,それを見ずに神を信じようとしない人は「言い訳ができません」。ある学者はそのことを,こんな例えで述べています。車を運転している人が「右折禁止」という標識を無視して右折します。すると,警察官に捕まって違反切符を切られます。その時,『標識を見ませんでした』と言っても,許してはもらえないでしょう。その標識ははっきり見えるものであり,その人の視力にも欠陥はないからです。それに,ドライバーには,そのような標識を見て注意を払う責務があるのです。自然界に見られる,神が実在する証拠も,それと同じです。その“標識”ははっきり見えるものであり,わたしたちには見る能力があります。ですから,それを無視したら,言い訳はできません。

創造者はご自分の造った物に証印を押された

実際,自然界という“本”は,それを創造した神について多くのことを明らかにしています。しかしそのほかに,その神についてはるかに多くのことを明らかにしている本があります。それは聖書です。わたしたちは聖書から,この地球と人間に対する神の目的は何か,という非常に重要な問いに対する答えを知ることができます。それを知れば,神に近づいてゆけます。神の「見えない特質」は,わたしたちの身の回りに「明らかに見える」のです。

8月の聖書通読の範囲

ローマ 1章–16章

a 聖書には,罪を受け継いだため救いを必要としている「世界」つまり「世」のことも述べられています。そのような文脈では,この語が地球ではなく人類を指していることは明らかです。―ヨハネ 1:29; 4:42; 12:47